スタッフブログ

見渡せどパネルの姿殊の他なし 2010 6月21日

zKr`@.JPGANAの仕事関連で、若干のお手伝いを依頼され、この所長野、富山、石川を結構忙しく車で、走り回っている。信州の東、中、南の地方は、日照時間の長さでは、日本の中では有数の土地柄であるにもかかわらず、山手から見下ろすその景観の良さに魅了されながらも、屋上に頂くパネルの少なさに驚く。幾らでも、暴れる余地が有りそうで、年甲斐もなく血が滾る。

プライベートジェット その2 2010 6月18日

o@.JPG昨年朝日新聞「声」欄に投稿し、掲載された「富士山静岡空港国際貨物空港に特化論」、同様に地元静岡新聞にも私自身が取り上げられた際、同様の理論提言をした。川勝静岡県知事にも、直接文書ながら提言し、丁寧なるご返事も頂いた。国際貨物空港有用性と共に今回また、プライベートジェット用の、特に国際空港としての静岡空港の将来性が、また新たに生まれた気がする。

プライベートジェット 2010 6月17日

gulfstream[1].jpg先日の日経新聞に「おやっ?」という記事が載った。森ビル社長森稔氏のインタビュー記事「小型ジェット機の利用増やせ」とのオピニオン記事。ひと昔前であれば、金持ちの道楽と一笑の付したものの今のビジネス需要は一概にそうとも言えない。無秩序に需要予測も好い加減に空港を乱造してきてしまった今、以外その粗製乱造ともいえる空港建設が、氏の提唱するプライベートジェットの運行には、フォローウインドなのかも知れない。

在宅オフィス② 2010 6月13日

oN.JPG全てのものが、良いと判りつつも、、将来像を描きつつも、変化は一気呵成には行かない。個別営業はWEBに取り替わりつつある事は、万人が否定するものでもないけれど、それでは、物の売り買いの全てが一気にWEB化してしまうというのでは勿論無い。いつの間にか気がつかないうちに静かに物事は形を変えて行く。先取りし過ぎても形骸化するし、遅れて付いていくのでは、商売が成り立たない。

在宅オフィス 2010 6月12日

3.JPG四月になって、自宅で本格的に開業したのだから、事務所は2階の一室、奥さんは自らのエステスタジオは、建築の段階から確保していたので、問題は無かったのですが、私の事務所は、かろうじて空いていた(来客時の宿泊用)一室となった。カシオ計算機が2009年春から北海道、東北、九州に手、よりきめ細かい販売支援を目的に、順次サテライトオフィスを展開し始めたが、私もANAの販売組織を考えた時、そのサテライトオフィスを提言した。自分がやってみて、その2か月を検証する。

物の見方考え方② 2010 6月11日

2.JPG1.JPGかつて、先輩のご存知のANA卒業生、中途退学生で、起業して成功した人は、ほんの一握り、ご自身も言葉には出さないながら、相当苦労されたらしい。
しかも、今まで培って来た業界の全く違うフィールドでの、私の行動は、"無謀"以外の何物でもないらしい。

物の見方考え方 2010 6月 9日

YbL[j.JPG私のANA時代の大恩人は、早々とANAを退職され、ご自分で会社を興され、大成功され、現在は各地で講演等にもひっぱりだこで、我々営業の教え子(駄目な子ばかりで申し訳ないが・・・)からは、相変わらず畏敬の目で見られ、いつかはあのようにと今でも、我々の人生の目標とさえなっている。

100回記念 2010 6月 8日

003.JPGブログも描き続けたら、どうも今回がめでたく100回記念のようです。・・・ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。・・・月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。あっという間の100回目と言うべきでしょう。

営業活動 2010 6月 7日

047.JPG先ずは、自分で歩きまわって会社設立宣言も不可能な事から、ホームページの作成を第一義とした。ANAの営業時代、旅行募集の成功の可否は、①良い商品②効率的な集客宣伝③確実な旅客ハンドリング(申し込み受付から出発までの正確なフォロー)この3点が整備されていれば、必ず募集は成功するとの観点で各旅行社の企画募集を見させて貰っていた。

また辞めてしまった首相 2010 6月 6日

威勢良く、就任した途端に「1990年比25%のCO2削減を2020年までには達成致します」大見得を切ったに等しいこの大宣言をしてから、鳩山氏はその達成のために、具体的に何をしたのか?良く判らないままに、普天間は五月いっぱいで決着を図るとの自縄自縛と言える発言故に辞めてしまった。所詮「ええしのボン」だったか!

東京 2010 6月 1日

東京を離れて、あっという間に二か月が経った。その間三度ほど上京の機会があった。しかしながら毎度思うが、何と人の多さよという点。「やっぱり仕事は東京だよ」という気もあるものの、信州暮らしを選択した自身を誉めてやりたい心境だった。